私の自己紹介と今までの人生での経験をすべて話していきます。
このページに来ていただいてありがとうございます。
私の事を知ってもらう為に今までの人生を、勇気を振り絞って隠さずに正直に話そうと思います。
長くなると思いますが、よろしくお願いします。
目次
私の自己紹介と今までの人生。
私の生年月日は昭和57年3月生まれ。
1982年の3月生まれの38歳の男(おっさん)です。
大阪で生まれて3歳まで家族と大阪の堺市にある市営住宅に暮らしていました。
しかし、父親が床屋(理容院)を開業きっかけで、熊本県に引っ越すことに・・・・
父と母の両親が熊本に住んでいたということもあったのも理由だと思います。
(高校の時までは何で大阪にずっと暮らしていなかったんだろう?)
実際に・・・・熊本より大阪の方が都会ですし、便利で仕事もあります。
と思っていたのですが、やっぱり大阪で家を借りたり、開業するのは経済的にきつかったのでしょう。
熊本の田舎の方に父が家と一緒に店を建ててそこに移り住むことになります。
私の小学校時代
熊本の小学校に入学して、小学3年生にあがった時に始めて気になる女の子が出来ます。
知らない人がほとんどかもしれませんが、当時朝のTVでポンキッキで流れていた歌「ドッキドキドキ1年生」の歌をそのままにしたみたいな感じです。
その女の子の事に近づいたり話しかけられたりすると、なぜか恥ずかしくなる自分がいました。
好きになってしまったのか?よくわかりません。
なんか変な感じがしていた気持ちがあります。
一目惚れてあるのでしょうか?
男性は女性と違って一目惚れしやすいと聞いたことがあります。
しかし、その子とはただのクラスメイトで何もなく小学生時代は終わりました。
私の中学生時代
小学校を卒業して、地元の中学校に通うことに。
両親は月曜日の休日は毎週パチンコに行っていました。
毎週月曜日は学校から帰ってきた後に、テーブルに置いてあるほっかほか亭の弁当(牛丼)を食べながら、一人で名探偵コナンを見ていました。
今でも、放送している名探偵コナンをどこかで見かけると中学校時代の月曜日の事を思い出します。
成績の方は、全く勉強をしていなかったので、かなり悪かったです。
どれくらい成績が悪いかというと試験の後に順位が出るのですが、300人中280番ぐらいのかなりひどい成績。
そして、3年生の進路相談の時に進学先の高校の話になります。
私の成績では高校は選べませんし、更に田舎なので行く高校は限られていました。
正確に言うと行ける高校があるけど、私立の高校でした。
私の両親は私立の高校に行かせるような、経済力はありません。
中学時代から「私立には行けないからね」と母親に言われていました。
父にあたってはむしろ、床屋の免許を取って家の後を継いでくれれば良い。
別に高校には行かなくていい。
だから別にそこまで勉強もしなくていい、という考えでした。
(両親は高校に行っていない)
公立の全日制の高校は偏差値が足らなくて無理だと担任の先生に言われたので、あきらめました。
成績がよくなかった私は、やはり高校も選べないので熊本市の夜間高校に通うことになります。
夜間性の高校に通うことを決めた私。
そのうえで親は、私を床屋の後を継がせるために夜間高校と同時に昼に理容の専門学校に通わされることに・・・
理容学校は私が高校に入る年が1年の期間で卒業できます。
しかし、来年以降から理容の専門学校は今まで1年制から2年制になるという事。
私は専門学校には行きたくない!!(もちろん家を継ぐ気もない)
とはっきり親に伝えたのですが、上手くいいくめられてしまいます。
親は「1年間だけだから頑張って行きなさい、来年になったら2年間通わないといけないよのよ」と私に言いました。
勉強も頑張っていなく、親に迷惑ばかりかけていたと思っていた私は仕方なく、昼は理容専門学校、夜は夜間高校に行くことになりました。
私の高校時代
始めて地元の駅を出て、20キロ近く離れた熊本市まで電車で通うことになった私。
そこで、新水前寺駅を降りて、熊本市内を歩いて見た光景とその時の感情は今でも覚えています。
地元の田舎と熊本市ではやっぱり建物やビルなど人の多さや活気など歩いている人が全然違います。
路面を走る電車、大きい看板、建物、道行く若い人たち。
駅のホームで会話している可愛い(かっこいい)私立の高校の制服を着たキラキラした高校生。
まさにTVドラマや学園漫画でよく見た光景。
私は知らないうちにテンションが上がっていました。
「やっぱり熊本市は都会だなぁ。これからここで3年間通うんだ!!」と思ってワクワクした記憶があります。
8時~16時まで理容の専門学校。
そして
夜は17時~21:30分まで夜間高校。
という15歳にしては結構ハードなスケジュール。
でも「熊本市の街並みを見たり、歩いたりすることは楽しい」
そんな日々を送っていました。
授業中は眠くなり、良く寝ていた記憶があります。(笑)
また
地元の駅や熊本駅の電車や駅のホームで、たまにすれ違う中学時代の同級生を見かけてると制服を着て(私が通っている夜間学校は私服)普通に学校が行けて羨ましいなあ、と思ったこともありました。
そこで初めて、もう少し学校で勉強しておけばよかったと初めて後悔した記憶があります。
高校2年生の時
高校2年生にあがり、熊本市のような田舎よりもちょっと都会の町でさえワクワクを感じていた私。
「大都会の東京はいったいどんなところなのだろう?」
次第に東京への憧れが強くなっていました。
私の高校時代は、今みたいにインターネットが発展していなく当然Youtubeみたいなものもありません。
更に、田舎で高校生の身分でお金もなかったのでTVを見るぐらいしか娯楽がありませんでした。
当時のTV番組「学校へ行こう」や「月9のドラマ」などを毎日見ていた私にとってTVや雑誌を見ていたので都会に憧れる気持ちが強くなっていったのがこの頃でした。
高校3年生の時
思春期真っただ中の頃、地元のスーパーで偶然、小学校3年生の時から気になっていた女の子がバイトをしているのを発見してしまいます。
当時の私も思春期だったせいもあり、その子のことが気になってしまい。
その女の子に思い切って電話で告白。
しかし、いきなり電話で告白されても相手は理解が出来なかったらしく。
私「好きな人がいなかったら僕と付き合ってください」
と告白するも
相手「は?・・・・あーーーいる」と振られてしまいました。
まあ、当たり前ですよね。
私の初恋?はあっけなく終わってしまいます。
東京に上京
女の子に振られてもう熊本には未練はありません。
18歳になり東京に行くことを決意します。
東京まで思い出に浸りたかったので、寝台列車の切符を買ってわざわざ16時間もかけて行く事に。
友人に頼んでMDウォークマンに録音してもらった大好きなL’Arc〜en〜CielのNEO UNIVERSE(ネオユニバース)を聞きながら電車の窓から東京まで行く外の景色をワクワクしながら眺めていました。
始めて見た東京はそれはもう言葉にできないぐらい衝撃的でした。
東京に住んでからは、派遣の仕事や日払いの仕事をしながら生活をしていました。
生活は大変でしたが、東京はやっぱりいろいろな刺激が多くて楽しかったです。
海上自衛隊に入隊
東京に住んでから1年間。
日払いの派遣やバイトでは、少しずつ生活が苦しくなってきます。
正社員で月給で雇ってくれるところはないのか?どこか心の中で思っていた自分がいました。
そこで、興味本位で自衛隊募集のチラシを見て電話をかけてみました。
とりあえず話を聞いて欲しいと電話口の担当者に言われたので、新宿の事務所まで話を聞くことに。
このまま生活していても、派遣やバイトではお金はたまらないし、特に将来に対して目的はなかったので募集人事の人の強い押しによって試験だけ受けることになります。
自衛隊の試験の結果は合格。
親に自衛隊に入ったことを連絡すると安心したらしく喜んでいました。
家を継がないで、勝手に上京した親不孝の私。
親が喜んでいるのが何故か嬉しくて自衛隊に入ることを決意します。
それから海上自衛隊としての生活が始まります。
船の中での生活はとてもつらく我慢の日々でした。
毎日何度も、何度も、辞めたいと思っていました。
でも、世の中は不景気です。
なかなか辞める事が出来ずにズルズルと7年も務めることになります。
でも、「一生この船の中での生活で終わるのは絶対嫌だ!!」
と思った私は、ある程度の貯金が貯まったのでやめる事を決意します。
親は自衛隊をやめることについて反対すると分かっていたので、親に内緒でやめることに。
無職期間(27歳~33歳)
当然、親には内緒で自衛隊をやめたので実家には帰れません。
(結局辞めたことはバレてしまうんですが)
自衛隊を辞めてから、神戸で一人でアパートを借りて一人暮らしを始めることになります。
何故、神戸市かというと自衛隊の時に働いていた時のアパートにそのまま住んでいた為です。
都会に行きたければ大阪に行けばよいし、東京にはたまに行くぐらいで良い。
今は年齢もそれなりに年を取って、自衛隊の時に様々な場所に行き色々な経験をした後です。
10代の時ほどの都会に対する憧れはそこまでありません。
自衛隊にいた時の貯金は結構あったので、色々なバイトや派遣をしながら、ダラダラ過ごすことに・・・・・
工場の派遣勤務
自衛隊として7年間の間に船や護衛艦といったキツイ現場にいたことにより、ある程度の忍耐力が付いていたと思います。
一人暮らしを始めて、製粉工場で工場員のバイトを経験。
仕事内容は小麦粉を袋に詰めて、検査して出荷する仕事でした。
よくある単純な肉体労働です。
仕事内容は確かにキツかったけど、自衛隊の時よりは遥かに天国に感じました。
出港した船や護衛艦とは違って毎日家に帰れるんですから。
宅建士試験に挑戦
年齢はもう30歳を超えていて、このままではいけないと思いながら生活する日々。
たまたま寄った業務用スーパーで買い物をしていた時。
「就職に有利なおすすめの資格特集」というような題名で書いてあるユーキャンの無料で配布している雑誌を手に取ってみる。
少し興味が湧いていたので持って帰って家でパラパラとページを見るうちに。
目についたのが、宅建士(宅地建物取引主任者)の資格。
宅建士というのは、不動産の賃貸や売買を契約させるために絶対必要になる資格です。
宅建士の主な役目や必要な理由は以下の通り。
①重要事項の説明書に印鑑を押させて契約が出来る。
②1つの事務所や営業所に宅建士1人を絶対配置する必要がある。
しかし一番の理由は、不動産関係のお仕事は、お金を稼げるイメージが私の頭の中にあったからだと思います。
この資格があれば就職にかなり有利だし、とても魅力的に感じた私は宅建士に挑戦をすることを決意します。
約5万円もするユーキャンの宅建士のテキスト一式を購入。
工場派遣のバイトをしながら、毎日1時間~2時間、宅建士の勉強をする毎日が続きます。
この初めての挑戦が今後の日常に少しずつ私に変化を与えることになります。
宅建士に合格できずに絶望した2年間
2年間の間に2回の試験を受けても、宅建士の試験を合格できなかった私。
こんなに勉強したのに・・・・・(宅建士の試験は普通の人は300時間勉強すれば受かると言われている試験といわれています)
しかし私の場合、700時間以上の時間をしても合格する事が出来ませんでした。
自分の頭の悪さに絶望した2年間でした。
それもそのはず、今まで受験や勉強から逃げてきてた私。
他の人と比べてはるかに受験経験が少ないので、勉強方法や勉強の仕方や理解するという事の本質を分かっていなかったのです。
このままではまずい。
もう一度本格的に勉強して挑戦しよう。
今度は絶対に合格しないと・・・・そうなれば今より勉強する時間が欲しい。
でも、そうすると工場の仕事を続ける事が出来ない。
悩んでいるそんな時。
チャンスが舞い込んできたのです。
ユーキャンの資格支援制度を利用するために職業安定所に寄った際に、職業訓練所のという所があることに気が付きます。
仕事を辞めても、失業保険で国からある程度のお金がもらえて、なおかつ就職の為に資格を取らせてもらえる。
もちろん通う事になると職業訓練校の授業を受けないといけない。
でも
今までの工場勤務で働きながら勉強をずっとやっていくよりもこっちの方が勉強の時間も圧倒的に取りやすい。
そう思った私は、製粉工場の派遣の仕事を辞めて職業訓練所に通うことに。
職業訓練学校に通う
職業訓練校といっても、私みたいな本当に仕事が無い状態で通う人以外にも色々な人がいます。
中でも意外だったのが、阪大を出ているお金持ちの御曹司や金持ちの家のお嬢さんなどの人物がいたことです。
その他には主婦や若い20代ぐらいの人。
そこで私は、初めにみんなの前で自己紹介する時にこのような発言をします。
「宅建士の資格を取るために勉強をしています」
「今年は絶対受かります」
これで試験に落ちたらすごく恥ずかしい。
でも、こうでもしないと本気になれないと自分で思ったからです。
それから半年間、職業訓練校に通うことになります。
家賃保証会社に就職
職業訓練校の就職の斡旋(あっせん)もあり、不動産に関係する業種に就職をすることが出来ました。
就職したのは家賃保証会社。
家賃保証会社とは・・・
簡単に説明すると賃貸契約を結んで住んでいる入居者が家賃を滞納したり払い遅れた場合、家主さんは入居者に対して、直接滞納した家賃を回収しなければいけません。
今まではそうでした。
しかし、家賃保証会社を契約すると、その滞納した時の家賃を大家さんに立て替えて払ってくれるという仕組みです。
今の賃貸借契約は、立場の強い大家さんよりも立場の弱いである入居者を守る契約です。
家賃を払わないからといって、簡単には部屋を追い出すことが出来ないません。
更に、家賃を回収する事はお金を回収することと同じなので、とても労力を要したり、回収できなかったりするのが現状です。
しかし、入居者がお部屋の契約と一緒に保証会社に入っていれば、家賃を滞納されても入居者の代わりに保証会社が家賃を家主さんに支払います。
ですから、保証会社を利用することで、家主側は家賃を毎月安心して回収することが出来ます。
家賃保証とはこういった仕組みです。
私はどういった業務をするかというと、代理店(賃貸を契約させる不動産会社のお店)に当社の保証会社をもっと使ってくれるように営業に行ったり、家賃を滞納している入居者からお金を回収するといった業務です。
特に家賃を回収する作業はかなり辛かった覚えがあります。
借金取りみたいものですからね。
宅地建物取引主任者(宅建士)に合格。
そうしている間に宅建士の試験の日時が迫ってきました。
もちろん勉強は続けていました。
3回目の試験でやっと合格することが出来ました。
3度目の正直といった感じでしょうか。
頭の悪かった私は1000時間近くかかったと思います。
始めて自分で決めたことに対して努力を継続して成功できたのがとても嬉しかった事を覚えています。
しかし、その半年後、働いていた会社が倒産してしまいます。
不動産会社に就職
働いていた会社が倒産したので、また就職先を探さなけれないけません。
しかし、今度は宅建士の免許が私にはあります。
早速、地元密着型の不動産会社に面接。
結果は合格。
賃貸の不動産営業マンとして働くことに。
仕事を覚えながら営業をこなしていく日々が続きます。
ここで営業という仕事に携われたことですごく勉強になりました。
3年ほど働いた時に自分の生き方に疑問を持つ
会社員として働くことに疑問を持ち始めることになります。
勤務体系は週6勤務で年収が大体300万円。
休みは週に1日。
更にはお客さんが休みの日に部屋を内覧したいと言ってきたら休みの日でも休日出勤。
それならまだ良いのですが、
契約が終わって入居が決まった部屋の家主のミスなどで入居するための清掃やリフォーム終わらせていなかったり、リフォーム代金をケチってしなかった場合。
当然、お客さんから入居時に苦情があったりする。
こういうような場合はトラブルに発展しかねないので契約中のお客さんから苦情があったら、休みの日でも出勤して納得できるように説明や謝罪をしに行くことも。
確かに歩給制で、契約を取れば稼げる。
でも賃貸の営業だとどんなに頑張っても多分年収400万~500万ぐらいが限界。
私の人生はこのまま一生終わるのか?と疑問を抱く日々。
私の働いている賃貸のエリアは大阪(梅田)まで30分以内に行けるベッドタウンで富裕層が特に多い人気の場所。
分かりやすく言えば、毎年関西住みたいランキングトップ10いくつも入っている場所です。
そんな家賃が高いところに住む人ような人達はやっぱり大手企業に勤めているサラリーマンや、自営業者である程度儲かっている人達です。
賃貸申込書の年収の書く欄を見てみると700万~1200万円の年収がほとんど。
それに対して自分の年収は300万。
悲しい現実。
私の人生は本当にこのままでいいのか?いや良くない、何かこの現状を変える方法はあるはずだ。
上手く言えませんが・・・・単純にお金が欲しいとかではなく、年収300万円という世界にずっと居続けるというのは私には窮屈に感じてならなかったのです。
色々調べていくうちに副業をすることを決意します。
そこで私はネットビジネスというものを調べてみる事にしました。
自分で調べていくうちにウェブサイトと動画を作ることが出来るようになります。
ブログやウェブサイト、Youtubeに出すような動画を会社の先輩や上司にも内緒で作っていました。
次第にウェブサイトや動画を作ることが楽しくなっていく私。
会社に勤めながら、家に帰っては動画やサイトの作成や運営。
当然ですが、1日の時間は24時間と限られています。
会社員をやりながら夜遅くまで副業をやっていると常に睡眠不足という状態。
でも、もっと自分のウェブサイトとYoutube動画を作れる時間が欲しい。
どうすればもっと時間を捻出できるんだろう・・・・
そう思い悩んでいる時に、いつもどうりお昼ごはん買いにコンビニ行って、トイレに行こうとして本のコーナを通り過ぎようとした瞬間。
一つの本の題名の文字が私の目の中に入ってきた。
本の題名は「後悔しない生き方」著者は堀江貴文。
私の潜在意識を呼び起こされた瞬間でした。
普段の私なら「コンビニの1.5㎝にも満たない薄い本で700円は高いだろ」と思っても見向きもしないでしょう。
しかし、この本の題名を見た時に自分の感情が抑えられなくなり、気付くと弁当と一緒に堀江貴文さんの本を衝動買いしていました。
普段は衝動買いは絶対しないタイプなのですが、この時は違いました。
休憩時間に弁当を食べながら本を読むと堀江貴文さんの言葉の一言、一言が私の心に響きました。
本を読んでいる途中で休憩が終わったが、仕事中も本の内容が気になっている自分がいました。
家に帰って本を全部読み終わると、寝る前に会社を辞める決意をしていました。
現在の私
今はブログ、ウェブサイト運営とYoutubeがメインの活動になります。
しかし現実は厳しくこれだけでは、生活はできません。
生活費が足らないので、尼崎や大阪の方に行き土方や土木の日払いの作業員をしながら取り組んでいます。
でも全然辛くはないです。
それに、肉体労働はずっとPCの前で作業をしている自分にとっては良い運動になりますし働いているという感覚を感じることが出来ます。
自分のやりたい事をやっているので会社を辞めたことは全然後悔はありません。
自分で選んだ道なので楽しい毎日を過ごしています。
これを読んでいるあなたにも何か良いことや、やりたい事が見つかる事を願っております。
ここまで長々と読んでくれてありがとうございました。